自己資本比率規制の歴史
(1)英米両国における自己資本比率規制導入の経緯
英米両国では、1970年代以降、金融自由化が進展する中で、金融機関の経営の健全性確保の観点から、自己資本比率規制が強化された。
英国では、1975年(昭和50年)以来、リスク・ウェイトを掛けた資産を分母とする自己資本比率(リスク・アセット・レシオ)の指導が個別金融機関ごとに行われ、さらに1985年(昭和60年)以降、いわゆるオフ・バランス(簿外)資産の一部も規制の対象に加えられている。このことから英国では、早くからバーゼル規制(バーゼル1)に近いルールが採用されていたといえる。
また、米国では、1960年代半ばから廃止されていた自己資本比率規制が1981年(昭和56年)に復活され、その後強化されている。1987年(昭和62年)には英米両国が自己資本比率規制に関する「共同提案」を発表し、これがその後のバーゼル規制(バーゼル1)の基本になっている。
一方、1975年(昭和50年)に発足したバーゼル銀行規制監督委員会(Basel Committee on Banking Supervision;BISの常設委員会)は、早くから金融機関の自己資本の充実について検討してきたが、英米両国の「共同提案」を契機に検討が進展した。1988年(昭和63年)7月、銀行の業務の自由化、金融市場の国際化が進展する中で、国際的な銀行システムの安定性の向上や国際的に活動している銀行間の競争条件の確保を図ることを目的に、バーゼル銀行監督委員会が作成した自己資本比率規制案が、主要10ヶ国中央銀行総裁会議で合意(バーゼル合意)され、国際舞台で活躍する金融機関は1992年末(平成4年末)までに、国際統一基準による自己資本比率規制が適用されることとなった。
(2)日本における自己資本比率規制の歴史
我が国では、1954年(昭和29年)に自己資本比率が具体的に目標として示された。当時は金融機関の預金残高に対する広義自己資本(資本勘定プラス引当金)の比率を10%以上に高めるよう努力することが定められており、預金に対する支払い原資としての自己資本の役割が強調されていることが特徴となっている。この規制はその後、自己資本比率の計算式の分母に譲渡性預金(CD)が加えられたものの、1986年(昭和61年)まで継続されていた。しかしながら、この間、我が国金融機関における実際の自己資本比率は低下を続け、目標とされた10%以上の水準を大幅に下回る状況が続いていた。
1986年(昭和61年)に、金融自由化の進展に伴い、自己資本比率規制の見直しが行われた。その結果、自己資本は預金に対する支払い原資としてではなく、資産に損失が生じた場合の最終的な支払い原資として捉えるのが適当であるという観点に立ち、自己資本比率規制の算式の分母が総資産に改められた。また、目標値をより現実的な水準である4%とするとともに(本則)、特に海外支店のある金融機関に対しては、有価証券の含み益の70%相当額を自己資本に加算したうえ、6%程度以上を維持することが義務付けられた。
しかしながら、その後、1988年(昭和63年)7月、先述のバーゼル銀行監督委員会作成による自己資本比率規制案が、主要10ヶ国中央銀行総裁会議において合意(バーゼル合意)され、国際統一基準が設定されたことを受け、我が国でも海外に支店などを展開している金融機関は、バーゼル規制(バーゼル1)に基づく国際統一基準が適用されることとなり、また、1992年(平成4年)には、それまで大蔵省の通達で示されていた自己資本比率規制が銀行法に規定された。このような中、1991年(平成3年)3月末までを7.25%以上を、1992年(平成4年)3月末までに8.0%以上を達成するよう、段階的に取り入れられた。
バーゼル規制(バーゼル1)の導入が、我が国の銀行へ与える影響としては、資産、資本当たり利益率などの効率性が、経営上より一層重視されるようになったことがあげられる。